技法の中で感じる力を養う
技法の修練において、たとえば初段(黒帯)ぐらいまでは、自分自身の動きにどうしても気が取られる。正しい手の形は?正しい脚の動きは?当身は手刀?熊手?それとも掌拳・・・?
このように「できているか」「できていないか」、自分の動きが気になってしょうがない状況、よく解ります。
しかし、ひとたび有段者となれば、自分の動きは無意識のうちにこなせるほどのレベルに至り、相手の状態にこそ、最大限の注意を払わなくてはいいけません。
目で見て、理屈に照らし合わせて分析するのはもちろんのこと、いつかは相手の内面的な状況、つまり気配のようなものまで感じ取れるようになりたいものです。
我々の修行は、単なる技術的な向上のみを目指す鍛錬ではありません。”武”を通じて人間的成長を目指す目的を持っているものです。
ですから、武的なやり取りの中で、相手の呼吸や気配を読み取ろうとする気持ちが必要です。言い換えれば、「自分の技をきめてやろう!」という意識から「相手に合わせて自分の動きを(無意識のうちに)変える」という意識への変革が必要だと思うのです。
相手の変化を読み取るには、相手に興味を持ち、よく観ることが大切です。ここでいう「観る」は、単に自分の反撃のチャンスを掴むためだけに「見る」のとは違います。
やがて互いの呼吸や相手の気配なども肌で何となく感じ取れるようになりたいものです。
何も摩訶不思議な力のことを言っているわけではありません。日常生活でも「嫌な人だな」とか「いい感じ」とか感じ取れるわけですから、自分に攻撃しようとしている相手の気持ちを感じ取れるのは、むしろ自然なことではないでしょうか。
このように、自らが他者との関わりの中に身を置いていることを認識し、その関わりの中に充ちる意識を感じ取れるようになること、ここに拳の修行の醍醐味があるような気がします。
そうした修行を重ねることで、日常生活においても良い人間関係、良い対応ができるようになるのではないでしょうか。