身体と心の芯を鍛える
技法の修練において、僕はよく『正中線』という言葉を口にします。背筋から頭のてっぺんまでをまっすぐに立て、動きの中で常にそれを意識しようと呼びかけています。
正中線は『線』なので、前後・左右から見れば直線であり、真上から見れば点…ということです。
身体の”芯”と置き換えても良いかもしれません。
鉛筆の芯は曲げれば折れます。針金のようなものなら、曲げれば曲がりっぱなしです。
しかし、正中線は曲げてもまたすぐに復元するものです。
動きの中で曲がることもあるが、すぐに元のまっすぐな状態に戻る…それが正中線だと思っています。
一方で、心にも芯というものを通さなければ、ぐにゃぐにゃになってしまう気がします。
「心の芯」とは、考え方の柱であり、筋道であり、道理であります。そういうものがあるのとないのとでは、生き方そのものが変わってくるのではないでしょうか。
もちろん、芯が固すぎて、人の言うことを聞き入れなかったり、どこでも自我を貫き通してしまうようでは意味がありません。
心の芯もまた、正中線と同じく、時に曲げたり・曲がったり…。それでもやがてまたまっすぐな状態に戻る…。そういう性質のものの方が良いと思うわけです。
このように、僕たちの修行法は、身体と心に芯を通し、それをまっすぐに保とうとする行為だと思います。
人間だれしも、いつもまっすぐでいられるわけではありません。日常には誘惑もあるし、疲れるときだってある。だらだらしたいときだってあります。
でも、週に何度か道院に通う中で、曲がっていないか点検したり、曲がっていたら直したり。そうすることでだんだんとしなやかで強い芯が備わってくるのだと思うのです。
永遠にまっすぐではいられない。だから、修行そのものも死ぬまで続ける必要があるんですね。