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「技法は何のためにあるか」

 

先日、伝統ある宗派の偉いお坊さんがおっしゃっている言葉で、「なるほど」と思った言葉があります。

それは『再誕』という言葉でした。

人として生を受けるのが初めの誕生とするならば、その後も人は自らの意欲や意志によって、新しい自分を生み出すことができるのだと。

そう思えば、金剛禅開祖(宗道臣)も同じことを言われています。

「今日から変わることに大胆になれよ」

「蛹もいつか蝶になる」

そんな言葉です。

では、自分が生まれ変わるのに大事なことってなんでしょうか?

それは、やはり”いまの自分を知ること”から始まると思います。

普段は気にとめない、あるいは見たくないと思ってしまう…そういう自分を見つめ、知ることからでないと、変わりようはないんですね。

そう考えると、私たちの行は非常に有用です。

剛法にしろ、柔法にしろ、「怖い」とか「痛い」とか、生身の感情が剥き出しになりますし、「うまくいった」「うまくいかなかった」という結果もはっきりと解ってしまいます。

問題は、「怖い」「痛い」「うまくいかない」…といった否定的な状況に巡り合ったとき、それを認められるかどうか。

それを認めることができたら、状況を変えるために、自分を変える。そこで初めて、とるべき行動(修行)の内容が明らかになります。

「他人と過去は変えられない」

「自分と未来は変えられる」

有名な言葉ですね。

私たちは、自分を見つめ、自分を変える必要性を感じ、自分を変えるために修行する。

自分が変わることで、技の結果、すなわち未来が変わる。

​この体験を道院で積み上げ、いずれはそれを生き方そのものにしてゆく―。そういう境地を目指しているわけです。

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